氣を聴く

氣の流れを視覚的に捉える場合、細かい部分を見ようとスポットライト的に見ると施術の質が落ちるだけでなく、術者の体を痛ます。私自身、腎臓や膵臓が痛くなることもしばしば。今までも、もっと俯瞰的に見るための方法として眉間を広げ、口角を上げて氣を見るということをしていました。(2019.2.27のブログ「体に良い集中の仕方」参照)それでも、施術が進化してくると、また腰が痛くなってきていました。

 

私の場合、視覚的に氣を捉えようとすると、少なからずこちら側から氣を発することになり、それが患者さんの氣を乱し、ありのままを観察できませんでした。観察する行為自体が影響を与える。ちょっと量子力学的な感じです。

 

そこで閃いたのが耳を澄ますようにして氣を捉えるという方法です。これだと、患者さんの氣の乱れは今のところ無に等しい感じで、しかも俯瞰的に捉えやすく、私の腰にも負担が来ません。面白いのは、耳を澄ますのですが、氣は視覚的なイメージとしてとらえられます。

 

そこで閃きました。観音様は、音を観ると書きます。光を観るでも、音を聴くでもありません。それは耳で音を聞くようにして波動を観ていたから観音というのではないでしょうか。しかも、「観」にはピンポイントではなく、俯瞰的に見るというニュアンスがあります。耳を澄まそうとすると自然に眉間は広がり、口角も上がり、まさに観音様のような表情になります。

 

今読んでいる養老孟司先生の著書の中に、視覚と聴覚がぶつかるところに言葉があるとありました。「氣」をコントロールするのに言葉はとても大きな役割を果たします。大いなるシンクロニシティを感じました。

 

 

みなさんも、耳を澄ますようにして物事を見てみてはいかがでしょうか。

 

岩崎整体院

佐賀県小城市牛津町柿樋瀬889-8