善悪を超えて 新たな視点からの整体

西洋医学では悪いもの(細菌や癌細胞など)を取り除き。良いもの(栄養など)を入れる。

東洋医学では悪い氣を取り除き、良い氣を入れる。

これらの考え方は物事を「良い悪い」で判断し

悪を減らし、良を増やすという考え方です。

 

東洋には物事を陰陽という二つに分けて考える考え方があります。

裏と表、上と下、熱いと寒い、良い悪い・・・

これらは、本来一つであるものを、人間が認識しやすいように二つに分ける考え方です。

 

本来一つであるものなので、その片方を消すことはできません。

本来一つである紙の裏だけをなくして表だけにするのが無理なのと同じです。

なので、病気も「悪」を除き「良」だけ残すというのはないのではないかと考えました。

 

細菌学者の話しによると

健康な人間は様々種類の細菌が共存し良いバランスを保っている状態。

体に悪いとされる細菌を徹底的に排除し、

例えば体に良いとされるビフィズス菌だけの状態にしてしまうと

一人勝ちなったビフィズス菌が異常増殖し

体に悪影響を及ぼすのだそうです。

 

アインシュタインは「問題はそれが起きたのと同じレベルでは解決することが出来ない。」と言っています。

問題を、良い悪いで判断している場合、それを解決するには、

良い悪いで判断する一つ上のレベルから見ることが必要だということだと思います。

 

では、病気を良い悪いで判断するよりも上のレベルから見るとどうなるのか、

良い悪いではないという視点から見たときに治療家のできることは何か。

 

それは「赦し」(「許し」ではない)ではないかと考えました。

※わたしの考える「赦し」と「許し」は

 「許し」は善悪で判断し、悪だけど許すというもの、

 「赦し」は善悪を超えて、本来善も悪もなかったのだというもの。

 

 病気があったとき、それを悪いも、不完全なものとするのではなく、

それらを含めて完全な状態だと認めるのが「赦し」ではないかと考えました。

 

病気を含めて完全な状態とはどういうことか、

例えば仕事が忙しく、過労で病気になった場合、

病気になったおかげで仕事を休むことになるわけですから

体のために病気は必要だったわけです。

 

過労で病気になったにもかかわらず、仕事を休むことが赦せなければ病気は治りません。

仕事を休むことを「許す」というレベルでは、治ったらまた過労一直線です。

「赦す」ことで初めて仕事や生き方を見直し、根本治療につながるのではないでしょうか。

 

では、整体における「赦し」とは何かを次回考えて行きたいと思います。

 

注:私は決して癌の手術などを否定しているわけではありません。

  手術が必要なこともあるでしょう。

  しかし、手術の後に、再発しないように

  その人にとっての「赦し」を考えることは有効ではないかと考えています。

 

気と躰の庵 岩崎整体院

佐賀県小城市牛津町柿樋瀬889-8