痛みがある体に完璧さを見る

全ての物事の中に完璧さを見なさいと多くの覚者は言います。

 

では、痛みがある体にどう完璧さを見出すのか。

 

整体師として私は、患者さんの痛みを消したいと思っていました。

消したいということは、痛みを悪いもの、つまり完璧ではないものとして意識しているわけです。

 

 

人の体を神様が作った完璧なものだとすれば、

痛みもまた完璧なはずです。

その痛みを取ろうとするということは

神様が作り出した完璧な状態から、

不完全な状態にすることではないか。

とすれば整体をしてその時は痛みが取れたとしても

痛みのある元の完璧な状態に戻るのは当たり前ではないでしょうか。

 

では、痛みがある状態を完璧だと受け入れたら

整体師は何も出来ないのでしょうか?

 

痛みがあるとそこは固くなります。

今までは、その固い部分を消そうと圧したり引いたり(ストレッチ)していました。

それは、固い部分に対して「あなたは固い今のままではだめだ。」という

否定のメッセージを送っているようなものです。

そこに完璧さは見いだせていません。 

 

そこで、体の固い部分もひっくるめて完璧なのだというメッセージを送ろうと考えました。
その方法として、固い部分を整体師がより固める様に圧します。
患者さんの固い部分に「あなたは固いそのままで完璧なのだ」という

全面肯定のメッセージを送る様に。

全面肯定とは、愛のメッセージだと思うのです。

 

固い部分を取ろうと圧しているのと、

そのままでいいんだよという気持ちで押しているのでは圧し方が違ってきます。

 

しばらく圧していると患者さんの体は緩んできます。

それは、固める必要があって固くなっていた部分が、固さを十分に経験することで

もう固くなる必要がなくなったかのように。

 

私が尊敬する心理学の先生が、

「心理療法は問題解決ではなく、当事者の自己肯定感の育成だ」と言われました。

カウンセラーが絶対的肯定感を持って傾聴することで当事者の自己肯定感が育ち

問題解決に向かう何かが動き出すのだと思います。

 

まさに、私がやろうとしている整体と同じだと思いました。

整体師は患者さんの体の固さをそのまま受け入れる様に同じ強さで圧す。

カウンセリングが傾聴なら、整体は傾圧?(笑)

 

 

愛をもって全面的に肯定してくれる他者の存在が人を癒してくれるのだと思いました。

 

気と躰の庵 岩崎整体院

佐賀県小城市牛津町柿樋瀬889-8